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鹿児島簡易裁判所 昭和39年(ろ)91号 判決

被告人 林剛

昭一五・一・二生 会社員

主文

被告人は無罪。

理由

被告人に対する公訴事実は「被告人は、昭和三九年五月七日午後三時二六分頃、鹿児島県公安委員会が道路標識によつて一方通行とした場所である鹿児島市東千石町六六番地附近路上において、前方の道路標識の表示に注意し、一方通行の場所ではないことを確認して運転すべき義務を怠り、同所が右一方通行の場所であることに気ずかないで、その出口方向から入口方向に向い第一種原動機付自転車を運転したものである。」というのである。

右公訴事実中、「被告人が起訴状記載の日時場所において、一方通行の場所であることに気ずかないで、出口方向から入口方向に向い第一種原動機付自転車を運転通行したこと」は、被告人の認めるところであり、又司法警察員作成の交通違反現認報告書および被告人作成の自供書によりこれを認めることができる。

しかしながら被告人および弁護人は、被告人に過失があるとの検察官の主張を争い、「本件現場には別紙添附図面のとおり上から順に進入禁止標識、時間を示す補助標識、駐車禁止等の標識、「二輪の自動車、原付自転車を除く」との記載ある補助標識、区間内であることを示す補助標識が一本の柱に取りつけられ道路左側に設置されていたものである。自動車等の運転者は標識に注意して運転すべきことは当然であるが、公安委員会としても運転者が読み違つたり考え違えをしないような道路標識を立てるべきであると考えられるところ、本件のような標識の立て方では、本件現場にさしかかつた原動機付自転車の運転者に対しては進入禁止の制限はないと表示されていると言わねばならず、その表示に従つて被告人が本件現場に進入していつたからといつて、被告人に対し過失を問うことは不当である。仮に本件標識では進入禁止の制限は原動機付自転車については除かれると表示してはいないと言えるとしても、本件標識の如き表示方法では多くの人が原動機付自転車については進入禁止の制限は解除されていると考えるであろうことは明らかで、かゝる曖昧な表示により運転者を規制し、被告人がこれを誤まつて読み取り一方通行の義務に違反したからと言つて過失ありとすることはできない。」と主張する。

よつてまず右主張の前提となる本件現場についてみると、本件現場は昭和三九年鹿児島県公安委員会告示第一号(昭和三九年三月二五日公布、同年四月一日施行)により、その別表第二項、番号9により一方通行の制限が車種の区別なく課されている所であり、進入禁止の標識が別紙添附図面表示のとおりの状態で設置されていることは司法警察員作成の現場写真作成についてと題する書面と同書添附写真により明らかである。

そこで進んで被告人等の本件標識は原動機付自転車の運転者に対し本件現場への進入禁止を表示するものとしては不充分であるとの主張について検討する。道路標識、区画線及び道路標示に関する命令(以下道路標識令と略称する。)によれば、本標識はその標識の主たる目的より見て案内標識、警戒標識、規制標識の三種に分類され本件に表われた進入禁止及び駐車禁止の各標識はそのうちの規制標識に入る。標識令でいう規制標識はいずれも運転者に対してその意味に従つて行動することを求め、これに従わないときは刑罰をもつて違反者にのぞむものであるから、その標識の意味する規制の内容は運転者に明確に判断しうるものでなければならないことは理の当然というべきである。そしてその明確性については標識令自らその大きさ、色彩、設置場所、塗料の種類を指示することによつてこれを確保しようとしている。しかし標識内容の明確性は以上のような視覚的な明確性の追求によつてのみで満足されるものではなくその意味内容が一義的であつて、これを見る者に標識内容の行動をとることが許されるのか、許されないのかの判断をまかせる如きものであつてはならないことは規制標識の性質上明らかなところである。そして標識令は補助標識を用いて本標識の意味内容を補充することも認めているのであるから、本標識とそれに付置された補助標識との関係についても意味内容が明確で一義的なことは当然要求されているものと言わなければならないのであつて、同じことは本件の如く本標識が二個補助標識が三個同一の柱に相接して立てられている場合にも要求されるものと言わねばならない。以上の原則を本件にあてはめると明確性、一義性の問題は「原付自転車を除く」と書き同一の柱に取付けられた補助標識の記載が駐車禁止の標識のみ及び進入禁止の本標識には及ばないと考えるのが当然であつて、進入禁止の規制は一部解除されてはいないと明らかに読めるのかあるいは原動機付自転車は本件現場に進入して良いと書いてあるのか否か明らかとは言えずその意味において明確性を欠き一義的でないと言うべきかにかゝるものと言える。ところで以上の標識の意味が明確であるか否かの判断は一般運転者の知識判断を基準としてなすべきことは、標識の性質から言つても当然であり、運転者たる者は車両の運行に関連する知識を有することが要求され、標識令に関する知識も右運行に関する知識の一部として要求されるところであるから、標識令において本件の如く二個以上の標識が同一の柱にある場合における本標識と補助標識の読み方について規定があるならば、その規定に関しては運転者の当然知るべきところと言うべきであろう。ところが標識令には第二条に「道路標識の種類設置場所は別表第一のとおりとする」との定めがあり、別表第一の補助標識の欄のところに「付置される本標識」との見出しがあつて補助標識か本標識に「付置される」ことを示しているに過ぎず、その付置がどのようになされるかについては規定がなく、且つ「車両の種類」を示す補助標識が付置される本標識の中には車両進入禁止の標識はあるが駐車禁止の標識(本件では車両の種類を示す補助標識の直上に設置されている)は記載されていないから、(なお標識令は本件後の昭和三九年八月二九日改正され、車種についての補助標識は、規制標識すべてに付置することができるようになつた)標識令からは運転者が本件の如く進入禁止と駐車禁止の本標識と車種を示す補助標識とが一個の柱にとりつけられたとき、補助標識は直上の駐車禁止の本標識にのみかかり更にその上の進入禁止の本標識にはかからないのだとの知識判断を一般に有すべきであり、且有しているとの結論を出すことはできない。そこで更に本件の如き標識の設置がなされた場合、運転者は良識ある限りは車両進入と駐車禁止は別個の規制であり車種による規制の一部解除はその標識の直上の駐車禁止の解除だけであると迷うことなく読めるか否かについて考察すると、駐車禁止を一部車種について解くのならば進入禁止も一部車種によつては解かれると並行的に考える者があつてもこれをもつて常識のないものと攻撃することはできないし、相当の数の原動機付自転車の運転者が進入禁止が許されるか否かの判断に苦しむことは充分考えられるところである。結局本件現場における標識は二輪の自動車および原動機付自転車に対しその進入を禁じているのか、許しているのかについては一義的に明らかにしているものとは言えない。従つて右標識によれば第一種原動機付自転車はその進入が許されると被告人が解釈したことについて、過失ありとすることはできないので、被告人は本件行為については責任を問われないものである。

以上によれば被告人の行為は罪とならないので刑事訴訟法第三三六条に従い主文のとおり判決する。

(裁判官 渡辺公雄)

図〈省略〉

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